仮現の言説へ
ネットが世界を覆い、情報の海に否応なく飲まれ実際の事象よりも過剰ともいえる死現実をむやみやたらに消費上書して己の立ち位置さえ見失ってしまっている。
これは私だけではなく、ほとんどの人が仮現の現実に左右されつつ流され続けている。
私が予見したのはこの「仮現の言説」と銘打った時、既に20年以上前のことである。
現在、HP3つLP(ランディングページ)1つ、莫大な金額を投入することになってしまった。もちろん自分で決めたことではあるが、現状において知られないということは、無いことと同じであり、知って頂かないことには商売にもならない。
1年以上様子を見てきたが、次から次へと新たな手法を勧められ、営業の手並みなどに驚きながら、本能的に「仮現の言説」に乗ってみている状況である。
不本意な状況が更なる仮現の手段を呼び込み、予見していた以上に混迷と化している。
これが今の私の置かれている状況であり、20年遅れている現実への皮肉なのかもしれない。
山本 透